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ペルシャ帝国の歴史

   古代ペルシャ帝国

イラン文化の曙は、アーリア人の登場に始まります。 紀元前2千年紀、
アーリア系のペルシャ人やメディア人などがロシアのステップ地帯から南下し、
王国を築きます。 やがてペルシャのアケメネス家が強大な勢力をもち、東は
インダス川から西はエジプトまでを支配する大帝国を形成しました。 そして
祭祀用の都ペルセポリスのレリーフには、すでに絨毯らしきものを貢ぐ姿も
描かれています。 最古の絨毯がつくられた頃からすでにかなりの時が
経っています。 因みにペルセポリスは、3代の王により、およそ87年間(紀元前
512年頃~前425年頃)かけて建設され、アレキサンダー大王の東征により
紀元前330年に炎上します。

   ペルシャ帝国は

ペルシャ絨毯、ペルシア猫、さらにはペルシア湾など、日々の生活でペルシア
という言葉を耳にします。ところでペルシアってどこにあるの?という人も、
少なくないようです。ペルシアは「現在のイランです。」
と言えば最も手っ取り早いのですが、これだけで済ませるわけにはいきません。

   イランは

イランは西南アジアの高い山々に囲まれた広大な高原です。
面積は164万8195平方キロメートルにわたり、その約2/3は山岳地帯、
もしくは砂漠 です。
イランは、北トルクメニスタン、カスピ海、アゼルバイジャン、アルメニアと、西は
トルコ、イラク、南はペルシャ湾、オマーン海、東はパキスタン、アフガニスタンと
接しています。 ペルシャ湾に接するイランの南部海岸線は、沿岸諸国の
なかでも最も永い海岸線を誇っています。


  ササン朝

ところが、このササン朝ペルシアがアラブのイスラム教徒によって滅ぼされると、かつての
ペルシア領土はアラブ人の
王朝の支配下に置かれ、
そののちトルコ人やペルシア
系人種による小規模な王朝が
乱立して、この国は細切れ
状態になってしまうのです。
ペルシア人が再び統一された
国民としての意識を取り戻す
には、16世紀初頭のサファヴィー朝(1501~1736)の樹立を待たねばなりませんでした。
英国の美術評論家ハーバート・リードはペルシアの美術に
触れてまず最初に、「ペルシアは、芸術史の地理的区分と
いうものの不都合さを、
おそらく他のどこの国よりもよく
示している国である。」

 アケメネス朝 よく

知られているように、ペルシアの起源は、紀元前550年頃にキュロス2世によって創設されたアケメネス朝にまで遡ります。
イラン南部のファース地方のペルセポリスを首都と定めたこの王国の版図は、現在のイランの比ではなく、東地中海沿岸地方やナイル川流域をも含み、北はコーカサス山脈、東はインダス川を境界としていました。アケメネス朝に次ぐ大帝国を築いたササン朝(226~642)もまた、シリアから中央アジアに至る広大な地域を支配しました。
と述べています。この国の歴史や民族構成について知るほどに、「地理的区分というものの不都合さ」を深く認識せざるを得ないの
です。
何しろ「イラン」という国名が正式に採用されたのは、1925年のことなのですから。 アケメネス朝ペルシアの発祥の地ファース地方。
ファースはファルス、パルスなどとも発音されますが、それをギリシア風に発音した「ペルシス」から「ペルシア」という名称が
生まれました。










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