ササン朝 |
ところが、このササン朝ペルシアがアラブのイスラム教徒によって滅ぼされると、かつての
ペルシア領土はアラブ人の 王朝の支配下に置かれ、 そののちトルコ人やペルシア 系人種による小規模な王朝が 乱立して、この国は細切れ
状態になってしまうのです。 ペルシア人が再び統一された 国民としての意識を取り戻す には、16世紀初頭のサファヴィー朝(1501~1736)の樹立を待たねばなりませんでした。
英国の美術評論家ハーバート・リードはペルシアの美術に 触れてまず最初に、「ペルシアは、芸術史の地理的区分と いうものの不都合さを、
おそらく他のどこの国よりもよく 示している国である。」 |
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アケメネス朝 よく |
知られているように、ペルシアの起源は、紀元前550年頃にキュロス2世によって創設されたアケメネス朝にまで遡ります。
イラン南部のファース地方のペルセポリスを首都と定めたこの王国の版図は、現在のイランの比ではなく、東地中海沿岸地方やナイル川流域をも含み、北はコーカサス山脈、東はインダス川を境界としていました。アケメネス朝に次ぐ大帝国を築いたササン朝(226~642)もまた、シリアから中央アジアに至る広大な地域を支配しました。 |
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